恋愛工学生ヒロのネトナンブログ

恋愛工学生。withを中心にネトナン活動を行なっております。シリーズ小説:もし非モテの大学生が藤沢数希の「ぼく愛」を読んだら

もし非モテの大学生が藤沢数希の「ぼく愛」を読んだら #1:上京

※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などは関係ありません。

 

「ここが赤学か。」

 

五十嵐隆史(いがらし たかし)が上京して来たのは都内の赤川学院大学(あかがわ学院大学:通称「あかがく」)に四月から入学するためだ。

 

東京での生活はもちろん、一人暮らしをスタートすることに期待で胸がいっぱいになる隆史は、その日受験以来に訪れた赤学の門をくぐった。

 

赤川学院大学は「高学歴」と呼ばれるほどの難関私大ではないもが、キャンパスは表参道に位置し、おしゃれなイメージが強い。

 

偏差値は57程度といったところだろうか?男女ともに人気の私大であるが特に女子の容姿レベルが高く、赤学のミスキャンに輝けば、倍率1,000倍と言われるキー局のアナウンサーになることでさえ容易だ。

 

 

将来、特にやりたいことがない隆史は”潰しが効くから”という理由で経済学部を専攻した。

 

一般的に経済学部や商学部は大学内でも偏差値が低いことが多く、一昔前には「パラ経(パラダイス経済)」「楽商学部(楽勝学部)」という言葉もあり、チャラチャラした人が多いというイメージを持たれがちだ。

 

愛知県出身の隆史の父は地元の信用金庫の支店長として働き、母は中学校で音楽の教師を務めている。

 

真面目な性格の両親の教育方針は、いわゆる文武両道であり「スポーツも勉強も頑張ろうね」と、時に厳しく時に優しく、大切に育てられた。

 

五十嵐家に「反抗期」という言葉は無縁というほど、隆史は両親の期待に背くことなく育った。

 

小学校から始めた野球では愛知県の強豪校にスカウトされるほどの実力を有し、創立150年を超える豊知工業高校に進学し甲子園を目指した。

 

 

豊知工業高校は男子校で、野球部に入部すると三年間は寮生活をすることになる。規則正しく同じ志を持った仲間とともに生活を送ることに隆史にとっては何の抵抗もなかった。

 

上下関係が厳しかったものの「真面目ないじられキャラ」として先輩からも可愛がられた。

 

高校最後の夏、惜しくも甲子園までは一歩手が届かなかったものの、外野手のレギュラーとして三番打者を勤め「愛知県ベスト4」の結果を残した。

 

学業の面でも、厳しい練習で有名な野球部に所属していながらも赤点を取ることは一度もなく、正に文武両道を貫き通した高校生活だった。

 

大学の体育会野球部からいくつかスカウトをもらったものの「野球は高校まで」と決めていた。

 

そこに明確な論理は存在しなかった。

 

両親も「一生懸命やりきった」と野球を辞めることや、「本人の好きなようにさせてあげたい」と明確な夢のために学部をい専攻しないことにも反対しなかった。

 

「特にやりたいことがない」と言って赤学経済学部へ進学した隆史だが、ただ一つだけ彼がどうしても成し遂げたいと、胸に秘めている思いがあった。

 

 

 

「女の子からモテたい」

 

 

 

そう、隆史は「年齢=彼女なし」の童貞だったのだ。

 

 

つづく



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◆藤沢数希所長の著書「ぼく愛」シリーズ 

ぼくは愛を証明しようと思う。

ぼくは愛を証明しようと思う。

 

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